道真公と子どもたちをしのぶコース
所用時間:1〜2時間
平城京・平安京で、宮城から南に延びた大路を「朱雀大路」と呼びます。
太宰府でもこれにならい、政庁跡から南へ延びたエリアを今も朱雀と呼んでいます。
太宰府らしい歴史をしのぶコースです。
徒歩
5分
❷飛梅飛来地
菅原道真公が親しんでいた都の梅の木が、藤原氏の陰謀により左遷された道真公を慕い、一夜のうちに都から飛んできたという有名な飛梅伝説。現在飛梅は太宰府天満宮本殿横に移されていますが、飛来したのがこの地だと言われています。
徒歩
2分
徒歩
5分
❹鶴の墓
昔、飛騨の国の匠が、木で作った鶴に乗り唐の国まで飛んでいき、あやしんだ唐の人々に矢で打たれてしまいました。鶴は大宰府まで飛んできましたが力尽きて落ち、この場所に葬られたという伝説が残っています。
徒歩
3分
❺隈麿の墓
隈麿(または隈麻呂)は菅原道真公の息子です。道真公とともに大宰府に下りましたが、左遷の翌年に急逝してしまいました。隈麿の墓は、梅の古木と共に地元の人々に今も大切に守られています。またここには珍しい6弁の梅の花が咲くといわれます。
徒歩
2分
徒歩
4分
❼ドロクサンヤネのセンダン
江戸時代、通古賀(とおのこが)の医者の陶山道益が、御笠川の氾濫を防ぐ堤防を頑丈にするため、一帯に竹などを植えました。薮となった堤防にある栴檀(せんだん)の木が「ドロクサンヤネのセンダン」と呼ばれるようになりました。樹齢200年と言われています。