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太宰府と梅のものがたり

奈良時代の女の子

太宰府といえば、「梅」。
梅は太宰府のシンボル!
でも、なぜ??太宰府といえば、梅なんだろう?
大宰府と梅って、いつから結びついた?

大伴旅人

それは…万葉の時代だったんです。
時は7世紀前半、私大伴旅人は大宰府の長官として大宰府にいました。
僕たち貴族は梅の花が大好き!
何しろ中国から伝わった高貴で珍しい花だったから。

ある時、当時大宰府の役所で要職にあった人たちを集めて梅の花を見ながら歌を歌うというパーティーを開催したんだ。
中には、学校の教科書にもよく登場する山上の憶良もいて賑やかな宴だったな~。
その時の歌が、『万葉集』に載っています。
ちなみに、『万葉集』を編纂したのは、僕の息子の家持なんだよ。

我が園に 梅の花散る ひさかたの 天(あめ)より雪の 流れ来るかも

大伴旅人 (巻五-八二二)

旅人は散る梅の花が雪のようだと歌っています。梅は「白梅」だったようです。

奈良時代の女の子

なるほど~、そうだったんですね。
何しろ当時の大宰府は大陸への玄関口、時代の先端をいく国際都市だったから梅のような時代の先端をいく花も植えられていたんでしょうね。
その後、梅と大宰府はどうなったんでしょう?

平安時代風の女の子

は~い、ここからはワタシが教えます。

平安時代の大きな出来事といえば、もちろん、菅原道真公が大宰府に流されてしまったこと。
道真公は梅が好きで自宅の庭に植えていらっしゃった。
11歳の時、道真公が初めて作った漢詩にも梅が詠われています。
そんな道真公を慕って、京から大宰府まで一晩で梅の木がとんできた、というのが「飛梅伝説」。
いえいえ、あれは誰かがこっそり梅の枝を大宰府まで持ってきたんだ、など、いろんな説があるんですよ。
とにもかくにも伝説の飛梅は今も天満宮の境内で生きています。
あ、でも、もちろん、梅の寿命は普通100~300年。

今の天満宮の飛梅は大事に大事に植え継がれてきたものです。

現代の女の子

はーい、では今の、太宰府と梅はどうなってるか、ご紹介しま~す。
今、太宰府天満宮の境内の梅は200種6000本もあるといわれています。
実は初老や還暦を迎えた太宰府の人たちは、天満宮に梅を献木するという風習があります。
太宰府の人にとって梅は災厄を払い、福を招く「神の木」なのです。

そして今太宰府には、梅ヶ枝餅をはじめ、「梅」にまつわるお土産や甘味がいっぱい。
梅をかたどったり、梅の果肉を使ったり。
太宰府でいろんな梅を楽しんでくださいね。

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