「さいふまいり」とは、学問・文化の神として人々の信仰を集める太宰府天満宮に参詣し、それとともに、太宰府周辺の名所旧跡をめぐることをいいます。
江戸時代に全国各地の有名社寺へ参詣し、道中の風光を楽しむ旅行が爆発的に流行しました。
社寺参拝が物見遊山をかねた人々の観光ツアーのようなものだったのです。
伊勢神宮を参拝する「お伊勢詣り」や金刀比羅宮を参拝する「こんぴら詣り」と同様に「さいふまいり」も古くから人々の旅先として浸透していました。
江戸時代のお参りは、「社家」とよばれる代々天満宮に奉仕した家が、全国各地で参拝の誘致を行い、参拝に訪れる人々の宿泊先の提供を行っていました。
人々の宿泊先としては他にも現在の西鉄太宰府駅付近の大町に旅館が軒を連ね、新町、五条にも旅籠や木賃宿が見受けられました。
また「講」という檀家・信者の集まりがあり、代表者が「代参」として「さいふまいり」を行い、天満宮よりいただいたお札を皆に渡す習慣がありました。
江戸時代後期には梅が枝餅が名物として「さいふまいり」のお土産に定着し、社家がお札を配り歩く際の手土産にもなりました。
観光コースは定番化し、観光パンフレットのようにさいふまいりをする人々のための道案内紀や木版刷りの境内図、天満宮の略記なども数多く出版されました。とくに都府楼跡、天拝山、榎寺、観世音寺など道真公ゆかりの場所や、竈門山(宝満山)、四王寺山(大野山)、水城など古歌に詠われた歌枕の地や物語の地が、12の優れた景勝地として風景画と代表する和歌を添えて紹介され、人々の憧れをかき立てました。
この12景は明治時代以降にも引き継がれ、明治35年の菅公一千年祭の折に発行された「筑前国太宰府神社之全景及十二景」(九州歴史資料館蔵)には天満宮の境内図と12景が一緒に描かれ、太宰府天満宮の参拝と史跡巡りがセットになっている様が覗えます。
全国に一万二千社あるといわれる天満宮の中でも西辺に位置する太宰府天満宮に「さいふまいり」として数多くの人々が訪れるのは、太宰府天満宮が菅原道真公のご墓所であり、道真公をもっとも身近に感じられる場所であるからでした。
そして独特の歴史と美しい自然に恵まれた太宰府の地の魅力が、古くから人々を惹きつけてきたのです。
「さいふまいり」は現代の今も、まちづくりに生かされ、太宰府にお越しになる人々をもてなすための大事な考え方となっています。
皆様もぜひ、この「だざいふ・なび」を活用して思い思いの「さいふまいり」を。
■本記事は「さいふまいり」著者 森弘子様のご協力により作成しています